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僕のブログ一号

カメラとか、写真とか。

僕たちが写真を撮る理由を電脳世界で探してみた。Part1

「何で写真撮ってるんだろう」


写真撮影を趣味とする多くの人が疑問に感じること。



もちろん、この問いに対してもうすでに自分の答えを持っている人もいると思います。(そもそも疑問に思わない人もいるでしょう。)
でも、やっぱり僕みたいに気になっちゃう人もいるわけで。。。


ということでGoogle老師の助けを借り、ブログ等の記事を読み解きながら、「僕たちが写真を撮る理由」を探していきたいと思います。
また、タイトルにPart1とあるようにこのテーマは何回かに分けて書いていきたいと思います。

No.1"【写真についての考察】私はなぜ写真を撮るのか?"

halcamera.com
とても詩的で、なおかつ哲学的な記事です。
この方が写真を撮る理由、シャッターを切る時は、

①美しいと感じた時

この中で最も大切だと感じるのが2である。美しいと感じること。経験として、体験として記憶に焼き付ける工程だ。

②その場所の時間的な変化に思いを馳せる時

この繁栄した風景がいつしか、廃墟となることを哀れみながらシャッターを切ることがあるが、今思い返せばそれは時間軸を意識できたファインダーの覗き方なのかもしれない。

としています。

しかし、この自身の考えに対し

綺麗な花が咲いていて、それを美しいと感じて、写真に撮って、ああ、綺麗だねと感じて満足しているだけじゃないのか。被写体を選んで贅沢になっていないだろうか。

何気ない光景すら輝いていたあのころはどうなったんだろう。最高に美しい場所を見つけて、そこに行ってただ美しい写真を撮ることの意味とはなんだろう。

と問題提起し、上記のような理由でシャッターを切るのは

いつの間にか思い上がり、写真を撮ることで世界を表現し、またあわよくばその世界と結託して、この世界の構造自体にすら変革を齎そうなどという大それた(以下略

ただ私自身が世界にほほえまれていると錯覚したいだけ

世界に片想いしているだけ

であり、ある意味自己中心的な撮り方である、と展開します。

では結局なぜ写真を撮るのか

花が咲いたら花を撮り、花が枯れたらその枯れた花を撮ればいいじゃないか。

私が世界と決別する必要があった。けれどその先に見えてくる光景を私はまだ知らない。しかしだからこそ、そのまだ見ぬ光景こそを、写真に撮る価値があるのではないかと考える。

つまり、「ただ美しいものを撮りたいからというだけでなく、まだ見ぬもの、自分とは無関係に動き続ける世界が自分に見せてくれる新たな光景を撮りたいから。」
ということだと解釈しました。

なるほど、、「在るものを撮る」とでもいうべきでしょうか。
途中までは僕と似た価値観だと思っていたのですが、あくまでも受動的にシャッターを切ることで、カメラをアウトプットではなくむしろ知らないものを吸収するためのインプットとして使うという考え(間違ってないはず…)はとても新鮮でした。


ただ、やっぱり見たもの、感じたものを写真に写したいと思う気持ちは動機としてとても大事ですし、そもそもたとえ全く見たこと無いものだとしても、シャッターを切るときにはやはり自分の心情というレイヤーが入ってしまうと思います。
そしてやはり、写真の作品としての価値も考察すべきでしょう。


さて、
ここまで付き合っていただいて誠にありがとうございます。
今回だけではまだ答えは出ないようです。
これからも様々な価値観を取り込んで新たな「写真を撮る理由」を見いだしていきたいです。では、これにてPart1は終了としたいと思います。
この記事があなたの考えや心情に少しでもちょっかいを入れられたなら幸いです。



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XE2&VoigtlanderNoktonClassic35mmS.C