僕のブログ一号

カメラとか、写真とか。

多次元的構造体と写真の話

※この話は基本的にプログラミング言語の構造体とは無関係のうちに書かれた記事ですので悪しからず。

題名:多次元的構造体

500px.comのBoku HitoriさんによるMultidimensional structure


X-E2 & AUTO YASHINON-DS 50mm 1:1.9

記事のタイトルにもなっているこの写真なんですが、正直タイトルだけじゃ意味がわからないだろうなと思ったのでブログで説明させていただきます。

まず、この写真は街並みの写真ではないです。

その理由から

僕たちは何かを見たとき、無意識の内にそれが何であるかを把握できますよね。
例えばこれ

500px.comのBoku Hitoriさんによるa photograph of a fan and a cat


扇風機と猫の写真です。
誰がみてもわかりますよね。
ちなみにこれのタイトルは「扇風機と猫の写真」です。

でもその認識、本当に正しいんでしょうか?
この写真に写っているのは、本当に扇風機と猫だけなんでしょうか?

答えはノーです。
この写真にはそれ以外のものも写っていますよね。
例えば壁、当然室内ですし壁が写ってます。
例えば棚、これは棚の上で撮ってます。
棚かどうかはわからなくても、宙に浮いてる訳ないですよね。
当然何かの上にあるわけで、写真にはそれも写ってます。


つまりこういうことです。
僕たちは、「目に映ったもの全てを認識するわけではなく、取捨選択して残ったものだけをそこにあるものとして認識している」のです。

ちなみに何を選ぶかは、インパクトの強弱やその人にとって既知か未知か、大切かどうかなど、百人いれば百通りの選び方があるでしょう。


ではもとの写真に戻ってみます。
f:id:boku0:20161014120818j:plain
先ほどこれは街並みの写真ではないといいました。

その理由は、街とはこの写真を見た人が、この写真の中からいくつかの要素を取捨選択して自分の意識の中に作り上げるものだからです。

だからこれは街の写真ではない。

じゃあこれは何か?
これは様々な要素が作る次元(例えば急な階段が作る空間的な次元、例えば車止めポールや電柱や電灯が作る幾何学的な次元、例えばアスファルトに書かれた「止まれ」の文字が作る社会的な次元、例えば奥を横切るバイクが作る時間的な次元…)の羅列であり、それらが作り上げた構造なのです。
だから僕はこれを多次元的構造体と題しました。

疑り深い人はこう思うかもしれないですね、「でもこれは結局誰が見てもただの雑然とした街並みの写真じゃないか」って。

そんなことはないのです。
例えばこの写真の左上の道路に書いてある「止まれ」の文字。
これは日本語で書かれた路面ペイントという次元を持っていますが、これを解釈できるのは日本語を知っている人だけであり、日本語を知らない人にとっては道路のシミか、もしくは奇妙なアートにしか写らないわけで、どちらにせよことばとしての意味情報を消失してしまいます。*1
つまりその時点で日本語が読める人がこの写真を見て作り上げた街と、日本語が読めない人が作り上げた街は異なるわけです。
これは何も「止まれ」の文字だけではなく、全ての次元において言えることで、何を選択し、どう解釈するかは全て写真を見る人に委ねられており、先ほども書いたように百人いれば百通りの解釈があって然るべきなのです。

僕はこれを多次元的構造体と題したのは、自分の見ている景色と他の人が見ている景色は実はかなり違っていて、もしかしたら同じものを見ても真逆に受け取っている可能性すらあり得るんだということを、僕たちはちゃんと理解しなくちゃいけないと思うからです。

終わり

関連文献

虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)

虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)

伊藤計劃氏のことばに対する思いが端々に書かれていました。「これはパイプではない」で有名なルネ・マグリットの『イメージの裏切り』
扇風機と猫の写真は自分的にはこれの真似したつもりなのですが…

*1:ちなみにこの知らない言語がどう解釈されるかという話は『虐殺器官』(伊藤計劃著)に出て来て感銘を受けました。